02ダンス

私を変えたサバールダンスというマジックショウ

「なんで、音がついて来るの? なんで?なんで?」
これが、私がセネガルで初めて現地のダンスを見た時の感想。
衝撃だった。

私はそれまでいろんなダンスを学んでいたし、いろんなステージを見て来たが、ダンスを見てここまで衝撃を受けたのは初めてだった。
そのダンスは私の知識や想像を良い意味で完全に裏切った。
要するに、いままでの踊りに対しての概念を完全に覆えされた。
こう表現すると普通かもしれないが、大勢いるドラム奏者の演奏と、ダンサーの動きがピタっと合うのだ。

でも、このピタっと息の合うドラムの音とダンサーの動きがなんの打ち合わせもないアドリブだったらどうだろう。
しかも、音はまるで機関銃のように早く、日本人の私からしたら、どこで拍をとっているのかも分からない。

私が見ていた現場は、演者と観客を隔てたステージではなく、観客参加型の路上ライブのようなダンスパーティー。

そこに集った者たちが勝手に踊り出す。
順番が決まってるわけでもない。
ひとりが飛び出し、その人が踊り終わったら別の誰かが飛び出し踊る。

集った人たちでサークルができるので、その中心がいわばそれぞれのダンスを見せるステージになる。
観客は360°という感じ。

私の今までのアフリカンダンスのイメージは、『天に捧げる』とか『農作を祈る』とかそんな意味のあることを、トランス状態になって踊るイメージだった。
それがどうだろう。
セネガルでは、そんな土着臭さがないどころが、私が今まで見てきたエンターテイメントをはるかに越えていた。

不思議な上に、面白い。

ドラムの大音量とそのスピードから、聞いてるだけでも息があがる。
そこに、アクロバティックなダンスが加わる。

そして次から次に飛び出すダンサーの激しい動きに対して、ドラムの音がピタっと合うのだ。
それは、まさにマジックショウ。
機関銃を撃ちまくる様なドラム演奏に、ダンサーの動きのアクセントで、ドラマーの演奏もアクセントが入る。
「なんで合うの?なんで?テレパシー?なんで?」

踊ってる人は選ばれた人ではない。踊りたい人が勝手に踊り入って来る。

試しに、自分も勇気を出してその円の中心に踊り出てみた。
私はダンスを習っているし、ダンスは普通に踊れる。
リズムをどこで取っていいか分からないが、きっとこの円の中に入ったら、なにか不思議な現象が起こるのかもしれない。
そう思い、すごい勇気で円の中に飛び出してみた。
観客はセネガル人でない私を見て、興奮し、期待の声を上げた。
何か踊ってみた。
が、しかし、様子がおかしい。
ドラムの伴奏は続いているものの、いちばん要であるリーダーの手が止まった。

しかも、チャンチャラおかしいや、といった呆れ顔。今までダンサーを見ていた鋭い眼差しと駆け引きを楽しんでるずる賢い表情はパッと消え、急にそっぽを向いてしまった。

今までのダンサーがしていた様に自分も踊りにアクセントを入れてみるが、まったくドラマーたちは反応してくれない。
見てる観客も「あーあ」と言ったトホホ顔だった。

私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。穴があったら入りたいとはこういうこと。

自分のチャレンジがここまで虚しく感じたのは初めてかもしれない。

自分がその円の中心から逃げるように元の場所に戻った。しばらく心臓のバクバクと手の振るえは止まらなかった。

ダンスパーティーはなにもなかったようにまたセネガル人たちが次から次へと踊り出す空気に戻った。

なんて、怖い。
ほんとに不思議だった。ダンスの動きに対してドラムの音がピタッと合う。
どんなに目を凝らして見てもその法則が分からない。なんでダンサーの動きに音が合うのかヒントすら分からない。

「きっとこうだろう」という推測すらできない。

不思議なダンス。
それがサバールダンスだった。
これが、私がサバールダンスに魅了されてしまったキッカケだった。
このダンスのトリックをどうしても解明したい。
いや、解明しなければもう寝れない。そんな勢いだった。
それから、日本に戻り、日本在住のセネガル人が主催しているサバールダンスクラスに通うようになった。
ステップの手順は分かった。
私はダンサーなので、そのステップを覚えてるのは朝メシ前だった。
だけど、肝心な私が知りたいトリックの種明かしを教えてもらえることはなかった。
サバールダンスを習い始めて3年が過ぎようとしていたが、私は未だにそのトリックを解明できてなかった。
その間に何度かセネガルに行き、またあの恐怖のチャレンジを試みたが結果同じだった。
私がサークルの中に踊り出ると、空気がシレっとなってドラマーの手が止まる。
やっぱり、よそ者は受け入れられないようだ。ものすごい疎外感を感じた。

その時の私の結論はこうだった。
セネガルのダンスはセネガル人が踊る物。外国人は踊っちゃいけない。
それにしても悲しすぎる。ここまで魅了されたダンスは今までになかったから。
でもどうしても諦めきれなかった。
また別の年にもう一度セネガルに行った。
そこで光が見えた!今まではダンサーにダンスを習っていたけど、その年はドラマーに私が踊るダンスを見てもらい、正解、不正解を導き出してみた。

やっとヒントが分かった。

やっぱりトリックはあった。
セネガル人たちは何もそのトリックを隠していた訳じゃない。
私で言うトリックは彼らからしたら呼吸と同じなのだ。
わざわざ言葉にして説明する概念がなかっただけ。
自分が見つけた物を、私は日本人に伝えられる形に分解し、言葉にした。
種明かしを説明できれば、私たちもマジックショウのようなダンスを共有できる!
それからというもの、私の言葉で、私の解釈でサバールダンスを伝えるようになった。

10年前はサバールダンスを踊る日本人は何人かいたものの、ステップを理解しているだけで、エンターテイメントとしてのサプライズを見せる者はいなかった。

この10年で変わった。


たくさんの日本人たちが大きなステージでサバールダンスをパフォーマンスするようになり、セネガル人たちのライブでは踊り出て楽しむこともできるようになった。

今では私たちがそれを初めて見た観客たちを驚かせ感動を与えられるようになった。

私ひとりの感動が、大勢の感動につなげることができた。
私があの時あきらめていたら、あの時の感動は私だけの思い出に終わってたかもしれない。
誰も結果は予測できない。情熱を持って続けた先にしかそれは見えない。
それが何年もかかる場合もある。

肝心なのはあきらめないこと。

そして、どんな困難があっても歩みつづけた足は止めないこと。
その先にはちゃんとみんなで共有できる感動は待っているから。
私がセネガルでヒントをつかんだストーリーはコチラ。
ファティマタセネガル物語 題2話


 

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