01日記

トリニダードで涙した理由|私がアフロダンスを続ける本当の理由

19年前、私の脳みそが開いた場所

2007年、初めてのトリニダード。
太っている人も、年配の人も、カーニバルのコスチュームを着て人生を楽しんでいた。

誰も「痩せてから参加しよう」とか、「若くないから無理」という空気を全く感じなかった。

あのとき気づいた。
コンプレックスは、抱えている側の思い込みに過ぎない。

楽しむことは、条件付きの特権ではない。
誰にでも平等に与えられた権利。

あの瞬間、私の価値観は壊れた。
人生は楽しんだもん勝ち。

そして、楽しんでいる人の方が輝いていて美しい。

 

2026年に再来。今回のトリニダードで起きたこと

クルーズに数日間滞在した。

そこは完璧に設計されたラグジュアリー空間。

24時間食事は提供され、プールもバーもライブもすべて整っている。

生活の摩擦がゼロに近い空間。

それは素晴らしかった。

でも、心の奥が震える感覚とは少し違った。

クルーズで数日過ごした後、私は今までにないような、身動きも取れないくらいの心が震える体験をすることになる。

カーニバル、東ポートオブスペインのピカデリー周辺の生活圏の中でスティールパンを聴く機会があった。

その光景とその音色を聞いた瞬間、涙が止まらなかった。

青い空。

地元の人たちの生活の色。

窓の外に並んでいる洗濯物や、カーニバルに参加していない住民が道端や窓から顔を出して眺めている光景。

その光景と音色が重なった時、私は動けなかった。

 

スティールパンはトリニダードに来てから、何度か見に行く機会はあった。

だけど、このエリアで聞いた音色に感情が揺さぶられた。

 

スティールパンの背景

スティールパンは1930〜40年代、ポートオブスペイン東部のアフリカ系コミュニティで発展した。

植民地当局による打楽器への規制が続いた歴史の中で、

第二次世界大戦中に出回った石油ドラム缶を加工し、音階を持つ楽器へと進化した。

奪われた。
でも、作った。
禁止された。
でも、鳴らした。

あの音は、娯楽ではなく、生存から生まれた創造だった。

 

消費としての豊かさと、生存から生まれた豊かさ

クルーズは

資本によって設計された快適さ。

スティールパンは

抑圧の中から生まれた創造。

私は今回、はっきりわかった。

私が惹かれているのは、消費する贅沢ではない。

奪われた状況から生まれた創造。

私はなぜ20年以上アフリカ文化に関わっている

私は日本人。

血のルーツがアフリカにあるわけではない。

でも思想の源流はどこにあるのか。

19年前は「見た目の解放」に打たれた。

今回は「歴史の中の解放」に打たれた。

だから私はアフリカ文化を続けている。

ダンスは上手な人のものではない。

若い人のものでもない。

抑圧の中から解放が生まれる。

そのエネルギーを身体で感じられるから、私はやっている。

だから私は「世界一優しいアフロダンスクラス」をやっている

私のダンスクラスは、上手な人のための場所ではない。

若い人のための場所でもない。

どんな体型でも、どんな年齢でも、

心を解放して楽しむ権利がある。

自分たちが心が躍っていれば、それは相手にも伝わるエンターテイメントを作ることができる。

プロダンサーである必要はない。

今回の旅で、心の奥から痛感した。

ラグジュアリーな旅を否定している訳ではない。

その旅を体験したことで、自分が求めている本当の豊かさの本質に触れることができた。

私は、消費する側ではなく、創る側に立つ人を増やしたい。

だからこのクラスを続けている。

もしあなたも、自分の中に眠っている解放のエネルギーを出してみたいなら。

その場所は、もうここにある。

一緒に創っていこう。

 

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