誰が使うかで意味が変わる
今日のレッスンは見合わせだった。
それは、バイサル先生のネット環境が悪くSkypeの音声が悪かったのが原因。
みんなで挨拶を交わしても先生の声だけ遠い。
「先生の音だけよくないです。」と伝えると。
aduna nekkul chaque jour am lu la neex.
要するに、「この世は毎日いい事だけじゃないんだ。」と言うのだ。
いやいやいや、せんせ?
Skype障害でレッスンのクオリティが下がるのは先生のせいではないけれど、日本ではサービス提供者がそれを言ったら怒られます!
ということで、今日のレッスンは中止。
だけど、この言葉、セネガルで生き抜かなくてはいけない人は使えるんじゃなかろか。
特に、人を指導する立場の人など、不平不満を言う人に使える一言だ。
aduna nekkul chaque jour am lu la neex.(アドゥナ ネックル シャックジュール アム ルラネーハ)
これ、他に何に使えるの?
市場を歩いていると、いろんな商品がいろんな物を押し売りしてくる。
使い道があるものならストックとして買ってもよいが、使い道が分からないものを押し付けられてもそうたくさんはいらない。
そんな時に一言聞きたい。
例えば、アタヤに入れるナーナという葉っぱ。
(私はミントだと思っている。)
ナーナを手にして、
「ナーナはアタヤ以外にどんな使い道があるの?」
と、聞きたい。
lan moy jerinu naana ba mu des ataya.
jerin 便利性
ba mu des~ 〜以外に
これでよい。
「○○は△△以外にどんな使い道があるの?」
lan moy jerinu ○○ ba mu des △△.
さぁ、これから市場に言ってさっそく使ってみよう!