セネガルでは、「お金を貸したら、あげたと思え。」とよく言われるが、
確かに、今まで貸して返って来ないお金の方がほとんどだった。
セネガルで知り合いができると、よくある。
「お金を貸してほしい、おじいちゃんが病気で。絶対返す!神に誓って、セリントゥーバ様に誓って、バンバ様に誓って、ビンラーヒッ!」と。
ものすごく必死で、ものすごい形相で頼み込んでくる。
これで貸さなかったら悪魔だ。
と、誰もが思わせる状況まで追い込む。
これは一種の、懇願系カツアゲ。
まず、返って来ないと思った方がよい。
あれだけ、神サマなのかなんなのかお偉いサマの名前を羅列して誓いを立てても、やっとお金を受け取ると、「必ず返すから。インシャアッラー」と締める。
セネガルでよく聞く「インシャアッラー」。
イスラム教の言葉らしいが、ネットで調べたら、「神が望むなら。」と書いてある。
ってことは、どっちの結果に転ぼうとも(返せても、返せなくても)、それは本人の意思ではなく、神が望んだこと。
すなわち、「返せなくてもしょうがない。俺のせいじゃない。」と解釈できる。
せっかく友達になっても、これが手切れ金として縁が切れる。
そして、またやっちまった。とひとり落ち込む。
最初は何度か「返して」と返済を求めたが、やっぱりいろいろ言い訳をつけられ、お金が返って来たためしがない。
そこで思う、そろそろガイドブックに書いて欲しい。
セネガルでの「貸して」は「ちょうだい」の意味だって。
あーあ。
でもね、でもね、これは、まだ私がセネガルを知ったつもりで、まだぜーんぜん知らなかった時代の話し。
以前のブログにも書いたが(お金より大事なもの)、セネガル人も人を見ている。
セネガル人同士でも信頼していない人にはお金は貸さない。
困った時は、本当に信頼できる友達に相談するし、そういう間柄だったら出来る限りのヘルプをする。
要するに、こちらが困らないだけのお金を援助して、その友達が本当に助かるのならそれをする。
返ってくるか来ないかは問題ではない。
だってお互い様だから。
そこは、「助け合い」であって「貸し借り」という捉え方ではない。
お金が返ってくるかヤキモキしてしまうような相手はそもそも友達とは呼べないのだ。
そして、本当に信頼できる人なら、どんな形でも必ず恩返しはする。
そうして、持ちつ持たれつの間柄になる。
それが、友達。
今まで、セネガルで返ってこなかったお金の数々。
裏切られたわけでも、嘘を付かれたわけでもない。
お勉強したのだ。
冒険するとはそういうこと。
遠い土地で、何人もの友達ができることが偉いわけじゃない。
たったひとりでも、喜んで援助できる人ができること。
それが本当の友情。
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今日のウォロフ語
貸し、借り系は私をもっとも悩ます単語・・・。
貸すも借りるも アバル
あなたは私に貸す(借りる) ダガ マ アバル
私はあなたに貸す ダマ ラ アバル
債務があることを アメル/ランボーセ という。
あなたが私に債務がある ダガ マ アメル/ランボセ
私はあなたに債務がある ダマ ラ アメル/ランボセ
私はあなたになにも債務はない アメルマ ラ ダラ
「あなたの分、立て替えておくね!」
↓↓
ダガ マ ワラ ランボセ
あなたが、私にそれの債務がある。
ワラ = するべき
ややこしぃぃぃぃ!!!((>д<))
※債務とは、"返済しなければならない"という義務、責任のこと。
簡単に言えば、お金を借りていることをいう。
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