01日記

生産性ばかり追い続けた私が、50代で気づいた『何もしない時間』の価値

「何もしない時間を恐れる」を卒業する。

最近、私にとって大きな出来事があった。

長年一緒にいたパートナーとの別れ。

その出来事を通して、私は今まで考えたことのなかった価値観に出会った。

それは、

「何もしない時間にも価値がある」

ということ。

私はこれまで、「価値を生み出すこと」こそが正義だと思っていた。

何かを作ること。

前に進めること。

人の役に立つこと。

そういう時間に、とても充実感を感じていた。

だから、人と会っている時も、無意識のうちに考えていた。

「この人に何を提供できるだろう」

「この時間を、どう価値あるものにできるだろう」

友人に対しても。

パートナーに対しても。

そして、気づけば「何も生み出さない時間」が少し怖くなっていた。

ただ一緒にいる。

目的もない。

成果もない。

そんな時間に、自分の存在価値があるのだろうか。

どこかで私は、

「価値を生み出している私だから、一緒にいる意味がある」

と思い込んでいたのかもしれない。

でも今回、初めて気づいた。

他愛もない話をする時間。

何もせず散歩する時間。

目的もなく旅行に行く時間。

ただ一緒に食事をする時間。

そこには、目に見える成果はない。

でも、その時間そのものが、人との信頼を育てる大切な時間だった。

私は、その価値が見えなくなっていた。

40代。

一緒に作品を作り、一緒に挑戦し、一緒に前へ進めるパートナーができた。

私にとっては、無双状態だった。

アーティストとして活動しながら、プライベートも充実している。

愛されるパートナーがいて、海外にも一緒に行き、作品も一緒に作る。

私が思い描いていた、理想の人生。

でも私は、一緒に生産する時間ばかりを大切にして、生産しない時間を飛ばしながら走り続けてしまった。

もちろん、私はこれからも挑戦を続ける。

プロジェクトも作る。

新しいことにも飛び込む。

それがなくなったら、私ではない。

でも、それと同じくらい、

「今日は何も生み出さなかった。でも楽しかった」

そんな一日も、大切にできる人になりたいと思った。

何もしない時間にも、価値がある。

50代になって、ようやくその意味が少し分かった。

人との関係は、価値交換だけでは育たない。

一緒に何かを作る喜びも大切。

でも、何も作らず、ただ一緒にいる時間も同じくらい大切。

この学びは、私にとってとても大きい。

これからのご縁では、一緒に何かを生み出す喜びだけではなく、何もしない時間にも喜びを感じられる関係を、大切に育てていきたい。

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