「何もしない時間を恐れる」を卒業する。
最近、私にとって大きな出来事があった。
長年一緒にいたパートナーとの別れ。
その出来事を通して、私は今まで考えたことのなかった価値観に出会った。
それは、
「何もしない時間にも価値がある」
ということ。
私はこれまで、「価値を生み出すこと」こそが正義だと思っていた。
何かを作ること。
前に進めること。
人の役に立つこと。
そういう時間に、とても充実感を感じていた。
だから、人と会っている時も、無意識のうちに考えていた。
「この人に何を提供できるだろう」
「この時間を、どう価値あるものにできるだろう」
友人に対しても。
パートナーに対しても。
そして、気づけば「何も生み出さない時間」が少し怖くなっていた。
ただ一緒にいる。
目的もない。
成果もない。
そんな時間に、自分の存在価値があるのだろうか。
どこかで私は、
「価値を生み出している私だから、一緒にいる意味がある」
と思い込んでいたのかもしれない。
でも今回、初めて気づいた。
他愛もない話をする時間。
何もせず散歩する時間。
目的もなく旅行に行く時間。
ただ一緒に食事をする時間。
そこには、目に見える成果はない。
でも、その時間そのものが、人との信頼を育てる大切な時間だった。
私は、その価値が見えなくなっていた。
40代。
一緒に作品を作り、一緒に挑戦し、一緒に前へ進めるパートナーができた。
私にとっては、無双状態だった。
アーティストとして活動しながら、プライベートも充実している。
愛されるパートナーがいて、海外にも一緒に行き、作品も一緒に作る。
私が思い描いていた、理想の人生。
でも私は、一緒に生産する時間ばかりを大切にして、生産しない時間を飛ばしながら走り続けてしまった。
もちろん、私はこれからも挑戦を続ける。
プロジェクトも作る。
新しいことにも飛び込む。
それがなくなったら、私ではない。
でも、それと同じくらい、
「今日は何も生み出さなかった。でも楽しかった」
そんな一日も、大切にできる人になりたいと思った。
何もしない時間にも、価値がある。
50代になって、ようやくその意味が少し分かった。
人との関係は、価値交換だけでは育たない。
一緒に何かを作る喜びも大切。
でも、何も作らず、ただ一緒にいる時間も同じくらい大切。
この学びは、私にとってとても大きい。
これからのご縁では、一緒に何かを生み出す喜びだけではなく、何もしない時間にも喜びを感じられる関係を、大切に育てていきたい。