2004年の体験記|WordPress版公開:2014年8月14日
タバスキの朝
気がつくと朝を迎えていた。
昨日と同じ光景。
窓の隙間から一本の光の筋。
こんな日は起きてもしょうがない。
しかし、ベッドに敷いてあるペッタンコのスポンジマットでは、長時間ゴロゴロしていると腰が痛くなって、寝ていられない。
大きい窓がある部屋に移り、外の景色を眺めた。
いつもいる作業服を着た労働者の姿はなく、外はシーンと静まり返っていた。
今頃、おうちで羊をさばいているのかもしれない。羊をさばく時は、家の前に大きな穴を掘り、羊の首筋をナイフで一撃し、その血を穴に流す。

私はその瞬間を見たことないが、路上が穴だらけになって、血で埋まっているのを見たことがある。
だからこのお昼の時間はむやみやたらに外には出たくない。
外に出ると目ん玉むき出しの羊の頭と目が合ってしまう。
家で飼育してきた羊を自分たちでさばき、それを戴くわけだから、感謝の念でいっぱいになるんだろうな。
タバスキは犠牲祭と言って、羊を捧げる習慣は、イスラム教で伝えられている物語に由来する。
預言者イブラヒムは、アラー(神)から自分の息子を生贄にするよう命じられる夢を見た。
イブラヒムがその命令に従おうとすると、息子の命は救われ、代わりに羊が与えられたという。
この物語が、今でもイスラム教の大切なお祭りとして受け継がれている。
貧しい家では羊を一頭買うことが出来ず、ご近所同士で一頭買うらしい。日本にいるセネガル人がこの時期にたくさん仕送りしているのは、このためだ。
日本の正月よりお金がかかるかもしれない。
私の部屋に、ヤマが訪れてきた。
イェレオロフを着ていた。
いつものヤマじゃなく、ちょっと照れくさそうにしていた。
ぶっちゃけ、似合うとは言いがたかったが、しおらしい彼女がかわいらしく見えた。
そして、私に「ありがとう」と言いながら両手を広げて、着ているイェレオロフを見せてくれた。

「ナイス!」 と私が親指を立てると、ヤマはうちに来ないかと誘ってくれた。
私はゼイヌ、いや、ユッスーとの約束がまだ終わっていないから、ここにいる、と断った。
ヤマは「OK」と言って出て行った。
私もイェレオロフを着ることにした。
そして、メイクもした。
メイクをすると、イェレオロフが映える。
小さい手鏡を下から上へ動かし、全体を見た。
かわいい。
見せたかった。
ゼイヌにもユッスーにも。
タバスキは始まったばかり。
まだガッカリするのは早いかも。
また窓から表を見た。外にはイェレオロフを着た女性や男性たちが、少しずつ姿を見せ始めていた。
ご近所の挨拶回りらしい。
本当だったら、私もユッスーの家族に挨拶して回っていたはずだった。
また涙が溢れてきた。
お腹が空いても何もする気が起きない。
また、バタっとベッドに仰向けになり、日本の歌を歌った。
コンクリートの部屋は声が反響して大きく響くから少し上手に聞こえる。
普段歌なんて歌わないが、歌うことで気分が紛れた。
私のタバスキ開始!
ウトウトしていた私は、ベンジーがドアをノックする音で目を覚ました。
ベンジーは部屋に入ると、私の格好を見て、手で口を覆い驚いた表情を見せた。
「素敵だよ。」と言って、見とれるようなリアクションまで付けてくれた。
そして、「あいつは最低な男だ。有り得ない。」とため息まじりで首を横に振った。
ベンジーは相変わらず、いつもと同じ格好だった。
そして「羊食べる?」と私を誘ってくれた。
お腹ペコペコだった私は「うん」と返事をしながらベッドから飛び降りた。
ベンジーに付いていくと、居間のテーブルの上に炭で香ばしく焼けた羊のバーベキューが置いてあった。
「もらって来たよ。」と、ベンジーは羊の前に座った。
「これ、マスタード。」
いつもの格好のベンジーに言われると、お祝いのバーベキューもジャンクフードを食べるような気分になる。
テレビを見ながら、私と一緒に羊を食べているベンジーを見て不思議に思った。
もしかしてベンジーは近くに家族がいないのかもしれない。
セネガルの場合、一夫多妻だから、腹違いの兄弟がいっぱいいる。
そして特別な日はお母さんの元へ帰る。
だけどベンジーは今ここにいる。
私はここでベンジーと一緒に羊を食べることができて良かったのかもしれない。
私とベンジーは手をギトギトにしながら羊のバーベキューを夢中になって食べた。
するとベンジーがポツンとしゃべり出した。
「セネガル、嫌いにならないでね。」
私は羊にかぶりつきながら、溢れ出す涙を止めることが出来ず、「あははは」と笑ってごまかし、肉をほおばり続けた。
「ヤツのやってることは最低だよ。だけど、セネガルは悪いやつばかりじゃないから。」
とベンジーは続け、私の涙を見ないようにテレビへ目を向けた。
そういえばセネガルでは涙を見せちゃいけないんだった。
私は鼻をすすりながら、肉を食べ続けた。
皿の上の肉を全部平らげると、2人はソファーにもたれながらテレビを見た。

このままもうゼイヌが来なければいい。
ゼイヌはずっと悪役でいい。
私を欺いた最低なヤツ。
そして、そんな最低なヤツに時間とお金を費やしたバカな私。
またベンジーがしゃべりだした。
「でも、ヤツのお陰で僕もヤマも君と出会えた。ヤツがいなかったらこうして一緒に羊は食べれなかったしね。」と笑った。
なんか、フッと楽になった。
ゼイヌは最低なヤツだけど、私にはセネガルに家族のような仲間ができた。
「ここは自分の家のようにいつでも帰って来ていいから、お金の心配もいらないし。だからセネガルを嫌いにならないで。」
いつものコミカルなベンジーとは打って変わって真剣だった。
ボコっと穴が空いていた心の中に、何か温かいものが流れて来るのを感じた。
窓の外を見ると路上を歩く人々の影がだんだん長くなっていた。
もうすぐ夕方。
セネガルは日が長いから夕方になってもすぐにオレンジ色にはならない。
もう、私の気持ちは変わっていた。
もう待たない。
私は化粧を直して、今まで招待してくれたお友達の所へご挨拶巡りに出かけた。
もう夕方だけど、私のタバスキは今からスタート。
そうして、夜遅くまでお友達のお家を訪問して歩いた。