2003年の体験記|WordPress版公開:2014年7月6日

巨大ホストクラブ

西アフリカ、セネガル。

美男美女が多く、とてもオシャレで音楽とダンスの盛んな国。

2003年。

私のセネガル渡航の目的は伝統舞踊「サバールダンス」の習得だった。

私はプロダンサーとしてのプライドと情熱を掲げ、3回目のセネガル渡航を果たしていた。

私は自分に約束した。

「セネガルに行ってもイケメン男性に振り回されないぞ!」と。

その当時、まだまだ情報の少ない私たちの中には、未知の世界のセネガルへダンスの修行に行き、魅惑たっぷりの現地の男性に口説かれ、言われたままにその男性を日本に連れて帰って来てしまう人たちが多かった。

ウソみたいな話だが、狭い世界なだけに、そういう噂はすぐ耳に入る。

私も初めてセネガルに行った時は、その一人になりかけるところだった。

現地である男性に口説かれ、うっかり自分を見失っていた時、たまたま現地をよく知る日本人女性に出会った。その方の忠告のお陰で、その失態からは免れることができた。

セネガルに来て感じた。とにかく、みんな気軽に口説いて来る。

でも、彼らが見ているのは、目の前の女性だけじゃない。その向こうにある、海外へ行くチャンスだったりする。

同じ「海外へ行く」でも、私たちと彼らとでは、その距離がまるで違った。

お金を貯めれば行ける、という話でもない。ビザという、もう一つの壁があった。

海外へ出て、一旗揚げたい。そんなアメリカンドリームのような夢を、外国人との出会いに重ねていた。

「ここにいても仕事がないから、あなたの国に連れて行って!」
冗談半分で言ってくる。
けれど、内心はガチだ。

そういう背景もあって、私たちのような旅行者は、どこに行ってもチヤホヤされる。

しかも、セネガルで目にする男性たちは、目鼻立ちがよく、顔が小さい。背が高くて、スタイルもよい。

その上、私にはアフリカでいちばんオシャレに見えた。

持ち前の美貌を引き立たせる洗練されたファッションセンスは、リゾート気分で気が抜けている私たちのラフな格好を恥ずかしく思わせてしまうほどだった。

そんなイケメンたちから、会ったその日から超スウィートな言葉で口説かれるのだ。

私たちがどんなにスッピンであっても「この世で一番美しい。」と褒め、「君を好きになってしまった。」と髪をなでる。

「もう、君のことしか考えられない。」と見つめ、「君のためなら、どんなに辛いことがあっても頑張れる。」と手を握る。

時には愛の歌を作り、大事に身に付けていたアクセサリーまで外してプレゼントする。

そしてクライマックスは「君と一緒に日本で暮らしたい。」、「君と離れるのが辛い。」と頭を落とし目頭を押さえる。

長期で仕事を休んでセネガル旅行に行くために、同僚や上司にゴマをすり、嫌な仕事も笑顔で引き受けたくさんの根回しをしてきた。

派手な遊びも買い物も我慢して、生活を質素に抑えコツコツお金も貯めて来た。

アフリカという開放感の中で、毎日イケメンから「アイラブユー」を浴びせてもらえる、夢のような甘い日々。

もしあなたが独身で、そこそこの収入があり、10も歳下のこのイケメンたちから「離れたくない」とすがられたら・・・。

思考はニブるよね?

私はニブる。

まるで、巨大なホストクラブだ。

そうしてまたひとり、すべてを捧げてしまう外国人女性が生まれる。

最後と決めたセネガル渡航

私は2003年のこの3回目のセネガル渡航を最後にしようと決めていた。

今回の旅だけは、ダンスの習得だけに集中し、どんな誘惑があっても私の大事なダンス人生を台無しにするような失態は起こさないと肝に銘じてセネガルを訪れた。

私の目的はサバールダンスの習得であり男ではない。

不誠実な誘惑に自分を見失うような醜態はもう二度とさらさない。

この歳で独身なのは好きなことを極めて来たからであり、甘い言葉を何でも信じてしまうほど恋愛経験が少ない訳ではない。

その強い意志のお陰で、どんなにイケメンに口説かれようとも見向きもせず、ダンスの習得だけに一心不乱になれるセネガルの旅になった。

2ヶ月の滞在。

ダンス習得の目的を達成し、残り数日で帰国のところまで来ていた。

本当に順調なセネガルの旅だった。

しかし、帰る直前にまさかのアクシデントを起こしてしまった。

うっかりしていた。

事もあろうに、私はひょんなタイミングでセネガル人に恋をしてしまったのだ。

それも、ダンスとは全く関係ない、インターネットカフェで働いていたお兄さんだった。

木の扉とフランス語の案内があるインターネットカフェの入口