初出:2013年9月17日
再編集:2026年9月8日

お祭りは中止だった。
なのに、私たちにとっては最高のお祭りになった。

新潟総踊りの最終日。
台風18号の影響で、お祭りは中止になった。

中止の知らせを受けたのは、ホテルでみんなと朝食を食べているときだった。

前日の夜に、1日遅れて到着した仲間もいた。
その日はフルメンバーで踊る予定だった。

まだお披露目していない新しい衣装で、最終日のステージを飾る予定だった。

なのに、中止。

たくさんの「のに」「のに」「のに」が、頭をよぎった。

本部からの電話を切り、仲間に中止を伝えると、みんな落胆して箸の手が止まった。

もう、急いで朝食を終わらせる必要もない。
帰りの新幹線まで、時間がありすぎる。

どうしよう……。

すると、ポツ、ポツと声が上がった。

今日一日をどう過ごすかではなく、どうしたら踊れるかというアイデアだった。

みんなは、この状況でも踊ることを全然あきらめていなかった。

「無理だよ」と言っていたのは、私だけだった。

みんなの「踊りたい!」という熱い気持ちに押されて、まずホテルのスタッフに相談した。

空いているスペースで、宿泊者に向けて踊らせてもらえないか。

答えはNG。

当然だよね。

次に、お祭りの本部へもう一度電話した。

「市の公共施設を借りて、小さなイベントはできませんかね」

お気持ちはありがたいですが、こちらで場所をご用意することはできません、と却下。

そりゃそうだよね。
普通に考えれば当然。

まだあきらめきれない仲間たちに、「ダンスのことは忘れろ!」と言って、とにかく今日一日を楽しく過ごす方向へ切り替えようとした。

そこへ、本部からまた電話がかかってきた。

「良かったら、本部の事務所に遊びに来ませんか?」

一番落胆しているのは、踊り子でもあり、お祭りを運営している本部のみなさんのはずだった。

それなのに、参加者の私たちに、わざわざ声をかけてくれた。

私たちは、お言葉に甘えることにした。

その日にみんなで着るはずだった衣装を着て。
セネガルでは、これが正装だから。

新潟総踊りで鮮やかな衣装を着て踊るファティマタ連のメンバー

事務所に着くと、スタッフのみなさんが温かく迎え入れてくれた。

事務所の隣には、鏡張りのリハーサル室があった。
私たちは、そこでくつろがせてもらうことになった。

私がトイレから戻ると、ファティマタ連の仲間たちがストレッチをしていた。

そして、事務局のスタッフ7名が、壁際に一列に座り始めた。

ひとりの男性スタッフが、パンフレットを配りながら言った。

「ようこそ、新潟総踊りにお越しくださいましてありがとうございます。今日は楽しんでいってください!」

スタッフのみなさんも、

「私は2枚ください」
「私はこのお祭り、初めてですよ」

と、お祭りの観客になりきっていた。

どうやら私がトイレに行っている間に、ファティマタ連が踊ることになったらしい。

私も慌てて身体をほぐした。

男性スタッフがMCを始める。

その瞬間、リハーサル室は新潟総踊りの会場になった。

心地のいい緊張が走る。

狭いリハーサル室だからと、照れている場合じゃない。

私たちの「踊りたい」という気持ちが、ちゃんと伝わっていたのだ。

スタッフのみなさんは、手拍子で盛り上げてくれた。
私たちは精一杯踊った。

そして、たくさんの笑顔と拍手をもらった。

すると今度は、スタッフのみなさんが、下駄総踊りを私たちにプレゼントしてくれた。

私たちは壁際に一列に並び、体育座りをした。

下駄も、衣装も、いつもの小道具もない。

それでも、目の前で精一杯踊ってくれた。

間近で見る踊りは真剣そのもの。
鳥肌が立った。

踊り終わったあと、下駄総踊りや樽砧のこと、そして、どうやってこのお祭りを作ってきたのかを話してくれた。

ファティマタ連の中には、涙を流す人もいた。
私は、こらえていた。

その日に受け取ったものを、今の私の言葉にするなら、こうなる。

ダンスは、言葉を越えて人とつながることができる。

私たちは踊りたかった。
スタッフのみなさんも、その気持ちを受け取ってくれた。

だから、お互いの踊りを贈り合った。

大きなステージもない。
観客もたくさんいない。

でも、あの小さな部屋には、確かにお祭りがあった。

あの空間で踊れたこと。
最高に幸せだった。

お祭りは実際には中止だったけど、私たちにとっては、最高のお祭りだった。

新潟総踊りで歓迎ボードを囲むファティマタ連とスタッフ

前日のファティマタ連の模様

踊ることで、人とつながる時間を

FATIMATAのクラスでは、経験や年齢で比べるのではなく、音楽と身体を楽しみながら、自分のペースで踊る時間を大切にしています。