06セネガル文化

コロナ対策!アフリカでお尻水洗いデビュー!トイレットペーパーを使わない爽快さを覚えると強い

トイレの後は、お尻を手で水洗い

私がデビューしたのは、もう10年以上前かもしれない。

 

セネガルではトイレットペーパーを使わない。

 

イスラム教徒が多い国だからかな? 彼らは大も小も用を足した後は、左手でお尻を水洗いする。

 

セネガルのトイレに行くと、トイレットペーパーはない。

 

今となっては、新築の家にはトイレットペーパーホルダーが設置されるようになってきたが、昔からあるトイレには基本ない。

 

置いてあるのは、水が張ってあるバケツとそれを汲む用のカップ。

 

もしくは、プラスチック製のやかん。

 

 

両方とも、お尻を洗う用だ。

 

マナーとしては、右手は使わない。お尻を洗う時は必ず左手。

 

右手はご飯を食べる手だから。握手もするしね。

 

そういえば、彼らは顔を洗う時も右手だ。たとえ左利きだったとしてもね。

 

 

最初、アフリカを訪れて、それを聞いた時はカルチャーショックだった。

 

「う◯こが、手についたら、気持ち悪くないの?」

 

その問いに対し、彼ら(セネガル人)の意見はこうだった。

 

「紙を使う方が信じられない。紙でお尻を拭いたら、紙もう◯こもお尻に残るし、それはすごい不潔だ。」と。

 

『う◯こが手に付いた方が気持ち悪い』 VS 『お尻にう◯こが残る方が気持ち悪い』

 

我々は論争になった。

 

彼ら(セネガル人)はこう付け加えた。

 

「う◯こと言っても、人のう◯こではない!自分のう◯こだ。しかも、しっかり水で洗い流すし、トイレの後は、石鹸で手をよく洗う。お尻も手も清潔だ!」

 

私たち(日本人)は反論した。

 

「お尻にはう◯こは残らない。力んでもトイレットペーパーに何も残らなくなるまで拭くんだ!」

 

 

私にもその時が来た!

手でお尻を洗うなんて信じられない。

 

セネガルの風習に逆らうように、私は常にトイレットペーパーを持参していた。

 

ある下痢の日(アフリカで下痢になるのは珍しくない。)、私はうかつにも外出先でポケットティッシュを切らしてしまった。

 

あるセネガル人のお宅にお邪魔していた時、お腹がキリキリ痛みだした。

 

なんちゅーバッドタイミング。

 

我慢することができず、トイレをお借りすることにした。

 

そこのお宅のお手伝いさんが、私のためにヤカンに水を汲んでくれている。

 

そして、私に手渡してくれた。

 

 

ついに、この時が来てしまった。

 

お腹の痛さは限界。

 

私はこのヤカンを手に、覚悟を決めてトイレに向かった。

 

初めての体験。

 

右手でやかんを持ち、左手で注いだ水を受け止めて、それでお尻を洗う。

 

最初はなかなかうまくできない。

 

何度もチャレンジした。

 

最初は、オエッっとなった。

 

でも、そのうち、お尻が完全にキレイに洗い流されていることが、指先の感覚で分かるようになってきた。

 

もう、お尻には何も残ってない。

 

それでも、ダメ押しで数回洗い続けた。

 

立ち上がり、お尻の水滴を、自分のタオルで拭く。

 

その感覚は、シャワーから出た後、全身をタオルで拭く感覚と同じだった。

 

知らなかった・・・。

 

私のお尻はこの上なく清潔になっていた。

 

手持ちのタオルでお尻を躊躇せずに拭いた行為がその証拠だ。

 

あの時、セネガル人と交わした論争の勝敗はセネガル人の勝ちかもしれない。

 

下痢なのに、お尻がこんなに爽快になるなんて。。

 

世界が広がった。

 

知ることで自由を手に入れる

それからというもの、私はセネガルにいる時は一切トイレットペーパーを使わなくなった。

 

それどころか、トイレットペーパーはちょっと不潔だ、とも思うようになってしまった。

 

『知る』って素晴らしい。

 

視野を広げるだけで、、こんなに自由になるんだ。

 

最近日本では、コロナ関連の不安を煽るニュースが増え、今では生活日用品すら、買い占めの傾向にあるようだ。

 

そんな時、このどーしょーもないブログがお役に立てばと思い書いてみた。

 

実際、水道から水が出ている限り、トイレットペーパーはなくても問題ない。

 

嘘だと思ったらやってみて欲しい。

 

発想を変えるだけで、少しでも自由になるのなら、やらない手はないだろう。

 

 

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