01日記

あの瞬間、心で感じたこと。 新潟総踊りと台風18号とファティマタ連

あの瞬間、心で感じたこと

 

それに当てはまる言葉を探そうとすると、知識や思考で作りあげられた感動ストーリーに塗り替えられてしまいそうになるから、書こうか迷ったけど・・。

 

それが、祭りを支えてるエネルギーだと感じたから、伝えたい。

 

新潟総踊り

最終日、台風18号で中止になった。

でも、中止にならなかったら知ることはなかった、すごいステキな人たちと時間を過ごした。

お祭り最終日、中止の知らせを知ったのは、ホテルでみんなで朝食を食べている時だった。

前日の夜に1日遅れて到着した仲間を含め、その日はフルメンバーで踊る予定だった。 まだお披露目してない新しい衣装で最終日のステージを飾る予定だった。

なのに、中止。

たくさんの 「のに」 「のに」 「のに」 が頭をよぎった。

本部からの電話を切り、仲間に中止を伝えると、みな落胆と共に箸の手が止まった。

もう、急いで朝食を終わらせる必要もない。

終電の新幹線まで時間がありすぎる。

どうしよう・・・・。

すると、ポツ、ポツと声があがった。

その声は、今日一日をどう過ごそうかの提案じゃなく、どうしたら踊れるかというアイディアだった。

みんなは、この状況を受けてもなお、踊ることを全くあきらめようとしてない。

「無理だよ。」と言ってるのは私だけだった。

みんなの 『踊りたい!』 という熱い気持ちを受けて、その提案のひとつ、ホテルの空きスペースでホテル宿泊者を対象にダンスパフォーマンスをやらせてもらえないかということをホテルのスタッフに打診してみた。

帰って来た答えはNG。

当然だよね。

そして、また再度、お祭りの本部に電話してみた。

「市の公共施設を借りて、小さなイベントできないですかね。」 お気持ちは大変ありがたいですが、こちらでそれをご提供することは致しかねます。と却下。

そりゃそうだよね。

普通に考えれば当然。

あきらめ切れてない仲間たちを 「ダンスのことは忘れろ!」 となだめ、とにかく今日一日を楽しく過ごす方向に思考をシフトするように促した。

そこに、また本部から着信があった。

「良かったら、本部の事務所に遊びに来ませんか?」と。

一番落胆しているのは、踊り子さんでもあり、総踊りのお祭りを運営している本部のみなさんのはずなのに、いち参加者の私たちにわざわざ声をかけてくれたのだ。

私たちは、お言葉に甘え、今日みんなで着るはずだった衣装を着用して(セネガルではこれが正装だから。)本部にお邪魔させてもらうことになった。

 

 

総踊りの事務所に到着すると、スタッフの方たちが温かく迎い入れてくれた。 事務所の隣に、鏡張りのリハーサル室があり、私たちはそのお部屋でくつろがせてもらうことになった。

私がトイレに行って、その部屋に戻ると、ファティマタ連(私たちのチーム名)の仲間たちがストレッチしている。 そして、事務局のスタッフたち7名が、壁際に一列になって座りだした。

そこに、ひとりのスタッフの男性が

「ようこそ、新潟総踊りにお越しくださいましてありがとうございます。今日は楽しんで行ってください!!」

と座っているスタッフたちにお祭りのパンフレットを配り始めた。

スタッフたちも、「私は2枚ください。」と言ったり、「私はこのお祭り初めてですよ。」と言ったり、それぞれが、お祭りの会場にいるかのようにみんなが演出をし始めた。

どうやら、私がトイレに行ってる間に、ファティマタ連がダンスをお披露目することが決まったらしい。

私も慌てて、体をほぐした。

そして、パンフレットを配っていた男性がMCを始めた。

そこは、新潟総踊りの会場と化した。

心地の良い緊張が走る。

狭いリハーサル室で照れている場合じゃない。

私たちの 『踊りたい』 という気持ちがちゃんと彼たちには伝わったのだ。

スタッフたちは、手拍子で私たちを盛り上げてくれた。 私たちは精一杯踊った。

そして、たくさんの笑顔と拍手をくれた。

そして、なんと! 彼たちも下駄総踊りを私たちにプレゼントしてくれた。

今度は、私たちが壁際に一列に体育座りをした。

下駄も衣装も普段持ってる小道具もない状態で、彼らの精一杯の演舞を私たちに披露してくれた。

間近で見る彼らの踊り、真剣そのもので鳥肌が立った。

そして、踊り終わって、彼たちは下駄総踊りや樽の太鼓を叩く樽砧(たるきぬた)の歴史、彼たちがどうやってこの総踊りを作りあげたかのお話をしてくれた。

ファティマタ連の中には涙する者もいた。 (私はこらえていた。)

そのお話で一環していたことはこれだった。

ダンスは言葉を越えてつながることができる。

ずっとずっと大昔、ダンスや歌や楽器でみんながひとつになれる、その勢力を恐れた権力者が祭り禁止令を出したそうだ。

でも、かならずその世代ごとに、その魂を受け継いで祭りを復興させようとするエネルギーが働くのだと思う。

そのくらい、ダンスには人間の魂を揺さぶる何かがある。

みんな本当はひとつであることを本能では感じていて、だから踊るのかも。

私たちに下駄総踊りを披露してくれた踊り子さんのリーダーがまさにそのエネルギーを受け継いで、今の新潟のお祭りを支えているひとりだった。

あの空間で踊れたこと。

最高に幸せだった。

 

お祭りは実際には中止だったけど、私たちにとっては、最高のお祭りだった。

前日のファティマタ連の模様

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