ファティマタセネガル物語は2004年にファティマタが経験したノンフィクションストーリーです。
ご縁のキッカケをくれた人
私達はアパートに戻った。
居間ではヤマがまだケータイをいじっていた。
ベンジーは居間のソファーに座りながら私に尋ねた。
「いつ帰るんだっけ?」
「28日の夜。」
「誰が空港に送りに行くの?」
「まだ決まってない。」
ベンジーが真剣な顔で私に話しはじめた。
「今年、君はどうしてセネガルに来たんだい? 誰がここに連れて来たの? 僕がこうして君と出会えたのは誰のおかげ? 君はその張本人にこのまま何も言わずに帰るの?」
一番触れられたくない所だった。
そしてベンジーは続けた。
「嫌な思いをしたのは分かってるよ。でも、ゼイヌが君をここに連れて来た。そしたら君が帰る時ぐらい、彼が空港まで送くるのが筋じゃないか?」
確かに、ベンジーはゼイヌのせいで私の世話をすることになったのだ。
私は再びゼイヌに連絡を取ってみることにした。
ベンジーから言われるまで、考えてもいなかった。
今回の旅にちゃんとけじめをつける。
私は進まない気持ちを押し切って、ゼイヌの家に電話をした。
セネガルの電話は呼び出し音が鳴るまでの無音が長い。
この無音がさらに緊張感を駆り立てる。
誰かが出た。
自分の名前を名乗り、ゼイヌに替わって欲しい旨を伝えた。
「ちょっと待ってね。」
とその人が受話器を置いて、ゼイヌの名を叫んだ。
セネガルは電話の保留中に、受話器を手で押さえたり、保留音に切り替えるという習慣はないようだ。
待たせている間の向こうのやり取りが丸聞こえだ。
受話器の向こうで「日本人からだよぉ」と言っている。
サンダルを引きずって遠くから歩いてくる音がかすかに聞こえた。
ゼイヌの足音だ。
ガチャガチャっと受話器を持ち上げた。
「アロ?」
「あ、あろ」
久々に受話器から聞いたゼイヌの声は、日本でよく聞いていた時の声とは明らかにテンションが変わっていた。
トーンの低い声を聞いて、さらに緊張が走った。
私が話しを切り出すまで、沈黙が続く。
何から言い出していいかわからない。
無言が続くほど、息継ぎがうまくできなくなり、鼻息が荒くなる。
「えーっと。」
昔は私の「えーっと」を彼はよく真似してくれた。
でも、今ではただの独り言。
「もうすぐ帰るんだけど、空港まで送ってくれないかな?」
前置きもなく、単刀直入に話した。
すると彼はあっさりOKした。
なんだか複雑だった。
彼と私が空港へ向かう所をうまく想像できない。
「ありがとう。」
そんな言葉、彼にはもったいないが、それしかとっさに出なかった。
パッキング
もうすぐ帰国する日が近づいて来た。
たくさん泣いた灰色の部屋も、誰もいない部屋になると思うとちょっと寂しかった。
私は少しずつパッキングを始めた。
よりにもよってそんな時にヤマが部屋に入って来た。
来るやいなや「これ日本の?」 とヤマがスーツケースの中から香水を取り出した。
隠していたのに見つかってしまった。
私は日本で買った高い香水は見えない所に保管していた。
大半のセネガル人は遠慮なく人の物を使うことを前回のセネガルに来た時に学んでいたから。
ヤマはおもむろにその香水のフタを外し、自分の首や脇の下にシュカシュカ噴射した。
私は彼女たちのこういう遠慮のないところにいつもイライラさせられていた。
ヤマは香水の噴射口を皮膚に密着させて噴射させるため、必ず香水が液体になって皮膚の上を垂れる。
この使い方はヤマに限らず、今まで見て来たセネガル人たちみんな共通してそうだった。
垂れた香水はローションのように両手で伸ばして皮膚になじませる。
使用量がハンパないため、使用後の香水の減り方が一目瞭然だった。
こんな使い方をするためセネガル人はみんな香水の香りが強い。
それが乾燥した気候のせいなのか、鼻につくほど人の迷惑にはならないのが不思議だ。
セネガルは大家族が多く、みんなで分かち合う習慣があるため、人の物も平気で使う。
東京に核家族でひとりっ子で育った私は、勝手に私物を使われる習慣がないため、こういう時にいつも戸惑う。
ヤマの前でパッキングは危険と悟った私は一度中断して、出かけることにした。
ヤマを部屋から追い出し、ビンタの家へ遊びに行った。
川えびの皮を丁寧に剥くセネガル人
ビンタの家に行くと、表で遊んでいた子供たちが私の姿を見て「ビンター!」と叫びながら家に入って行った。
私は「サラマレクム(こんにちは)」と言いながら家の中に入ると、いつもの顔ぶれのマダムたちが、私を歓迎してくれた。
ビンタの部屋はその奥の階段を上がった2階だった。
ビンタの部屋へ上がると、いつものようにベッドの上に2人で座って世間話をした。
そして、私はゼイヌに空港まで送ってもらうことを話した。
ビンタもそのことには強く賛同していた。
こちらの人は出会いのキッカケをくれた人をすごく大事にする。
私がセネガルに来るキッカケになった人、ベンジーやヤマたちと知り合うキッカケになった人。
例え、その人が裏切り者だとしても、そのキッカケをくれた人には変わりない。
セネガルはそういうことをとても尊重する。
その夜はビンタの家で夕飯をご馳走になった。
その日のメニューは川えびのから揚げだった。
セネガルでは初めてだった。
私は日本の居酒屋を思い出した。
こんな時にビールが飲めないなんて辛い。(セネガルはイスラム教だからアルコールは飲まない。)
ここの人たちは、川えびはお酒のおつまみではなく、フランスパンのお供としていただく。
しかも、セネガル人たちはご丁寧にカリカリに揚がっているこの川えびですら皮を剥いて食べるのだ。
私がそんなことも気にせず、パクっとそのまま口へ放り込むと、みんなは驚いて目をまん丸くしていた。
用心棒のヤマ
そんな時に、「サラマレクム。」とヤマが現れた。
ヤマとビンタは面識がない。
セネガルでは知らない人が居間まで入ってくることは普通にあり得る。
しかも「どちら様ですか?」とは聞かず、知らない人でも「どうぞ、どうぞ、一緒に夕飯を食べましょう。」とみんなが手招きして夕飯を誘う。
これがセネガルの文化「テランガ」。
助け合いの精神。
別にヤマは川えびが食べたくて家にお邪魔しに来たわけではない。
ヤマは私の帰りが遅いことを心配して、近くまで探しに来たのだ。
「日本人を見かけませんでしたか?」といろんな人に尋ね、近所の人たちがヤマをここまで案内してくれたらしい。
ヤマはビンタたちの夕飯のお誘いを丁重に断り、私に「帰るよ」と言ってきた。
食べ始めたばかりでタイミングが悪すぎる。
私は仕方なく、「ご馳走様です。」とその場を立った。
ヤマのふて腐れた態度を気にして周りのみんなも私の帰りを止めなかった。
ヤマと二人でビンタの家を出ると、ヤマはボソっと「お腹すいたよ。」とつぶやいた。
さっきまで、ヤマのタイミングの悪さにムカついていたが、私の自己中ぶりにも少し反省した。
私とヤマはいつものサンドイッチを買って、アパートに戻った。