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アフロダンサーFATIMATA日記『エンターテイメントってなんだろう』

エンターテイメントでありたい

私の夢はダンサーになることだった。しかし、単にダンサーになる以上に、私はエンターテイナーになりたかった。

エンターテイメントをダンスで表現する。

これがずっと私が描いていたダンサーとしての憧れだった。

20年前はクラブでダンサーたちのショーケースを楽しみに、よく足を運び、生で見るダンサーたちのパフォーマンスに熱狂した。

ゲストで呼ばれている大御所たちのショーケースは音にも演出にもこだわり、どれも個性的でおもしろいものがたくさんあった。

それから時が流れ、クラブに行く機会が減り、さらには世界中でコロナのパンデミックが起こった。

世の中はオンラインでダンスによるつながりを求めるようになり、リールやTikTokが流行し、バズれば有名になる時代がやってきた。

コロナが明け、じわじわとイベントが再開される中、久しぶりに友人のショーケースを見にクラブに行くことがあった。

ゲストのショウケース、もはや知らない子ばかり。

会場中から湧き上がる黄色い声が、今の人気ダンサーなんだと想像が付いた。

だけど、そのショウケースに驚愕した。

開いた口が塞がらないまま「嘘でしょ。」と声を漏らしてしまった。

「一体どうなってしまったの?」と両手で頭を抱えてしまうほど、どのゲストダンサーもパフォーマンスが面白くなかったのだ。

(その時が、たまたまだったかもしれないが。)

もちろん、ゲストダンサーたちは踊りが上手だ。

若手ダンサーたちから憧れの目で見られ、黄色い声援を浴びるのもわかる。

動きも卒がなく、キレがあり、ダイナミック。

しかし、そのダンスはエンターテイメントとは程遠く、リールやTikTokで見かけるような内容をそのままステージで披露しているようにしか見えなかった。

「こんなSNSダンス、わざわざクラブまで足を運んで生で見る必要があるのか?」

そう思うと、じわじわと怒りがこみ上げてきた。

「家で、スマホに向かってやっとけよ。」

キャーキャー騒いでいる若い子たちと、自分のテンションのギャップに落ち込んだまま家に帰った。

私がかつて熱狂していたエンターテイメントはどこに行ってしまったのだろうか。

もしかして、私みたいな考え方が、もう古くなってしまったんだろうか。

 

エンターテイメントがしたい

私の『エンターテイメント』とは、観客を楽しませることに尽きる。

観客の立場に立って作品を作り、心を込めて踊ること。

我々がダンスを練習する時、インフルエンサーがトレンドの曲で踊っているのを見て、自分たちもそうなりたくて、真似しながら練習している。

人前で踊る機会があれば、自分もインフルエンサーのように周りから評価されることを目標として踊るだろう。

トレンドの曲を並べ、トレンドのステップを入れて。

同じジャンルのダンサーが集うイベントであれば、見ている側は、同じジャンルのダンスを立て続けに見せられることになる。

踊る側は自分たちのやりたいことを出し切って満足かもしれないが、見る側にとっては苦痛でしかない。

パフォーマンスに正解不正解はないが、観客の心理をしっかり考えて作らないと、それはただの自己満足になってしまう。

観客側に立ち、どうすれば楽しんでもらえるか、見ている人の心理を考えたうえで選曲をして、構成を工夫しないと、お客さんを引き込むことはできない。

選曲や構成、衣装、世界観、間の取り方など、観客を引き込むためのテクニックは確かにあるが、何よりも大事なことは、心を込めて作品を作り、踊ること。

相手も人間であり、心からのパフォーマンスは必ず相手に響くと信じている。

たとえ踊りが上手でなくても、それは伝わるものだ。

私はまだ完璧なエンターテイナーになれているとは思っていないが、その志は絶やしたくはない。

自己満足のダンスではなく、観客がワクワクするものを提供する。

仲間たちとエンターテイメントについて議論しながら、面白い作品を試行錯誤して作り、パフォーマンスすること。

それが私の目標であり、描いて来た夢だ。

エンターテイメントはプロじゃなくてもできる。

これからも、仲間(生徒)を増やして、自分が思うエンターテイメントをして行きたい。

どんなに、周りがトレンドだけを追いかけるSNSダンサーになろうとも、私のステージへの信念は変えない。

エンターテイメントは永久に不滅なのだから!

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