ウォロフ語とは

ウォロフ語とはセネガルの部族語。

 

セネガルの公用語はフランス語だが、会話はほとんどがウォロフ語でされている。

 

セネガルにはたくさんの部族がいるが、ウォロフ族がいちばん多いため、共通部族語のようになっている。

 

日本では学校で国語を学ぶが、セネガルではウォロフ語は学校では学ばない。

 

会話としては使用するが、ウォロフ語の表記や文法については学ばないのだ。

 

なので、セネガル人たちはウォロフ語の表記の仕方が人それぞれ。

 

ローマ字を使ったり、フランス語を引用したり。

 

ウォロフ語の公式な表記の仕方があったとしても、それを知っている人はほぼいない。

 

ウォロフ語を学びたい

私が一番最初にセネガルに渡航したのは、1999年。

 

憧れのアフリカ。

 

Mixiもやってなかった時代。

 

見るもの触れるもの全てが新しくて、なにもかもが新鮮だった。

 

現地でお友達になったセネガル人たちは、I love you という英語は知っていても、You love meになると伝わらないレベル。

 

彼らとのコミュニケーションは、彼らが一生懸命教えてくれるウォロフ語だけだった。

 

食べる レック

座る トーグ

来い カーイ

私 マン

あなた ヨウ

友達 サマハリ

踊り フェチ

 

ジェスチャーで教えてくれるウォロフ語単語。

 

その都度ノートに書き留めて、ノートを見ながら彼らと会話する。

 

「マン レック(わたし食べる)」

 

それが伝わるだけでも、すごく嬉しかった。

 

もっと学びたい。

 

その気持ちは募る一方。

 

 

ウォロフ語のテキスト

ウォロフ語をどうしても勉強したい。

 

しかし、その時代、ウォロフ語を学べる手段はほぼ皆無だった。

 

2001年、またセネガルに渡航した際に、ウォロフ語の教材になるものを探し回った。

 

首都ダカールの一番大きな市場へ行き、本屋を探しまくって、数件目でやっと見つけた。

 

テキストと発音カセットテープ付きの教材。

 

大興奮。

 

ウォロフ語テキスト

 

しかし、そのテキストは全てフランス語で書かれてあった。

 

念願のテキストを手に入れても、何が説明されているか全くわからない。

 

カセットテープはテキストのセンテンスをネイティブがウォロフ語で喋っている。

 

このテキストの意味がわかれば、最高に良い教材のはずなのに。

 

日本に帰っても、そのテキストは本棚に飾られたまま、宝の持ち腐れになっていった。

 

日本語解説のテキスト

そんな時期、セネガルに精通している友人より、あるテキストのコピーを見せてもらった。

 

それは、日本語で説明してあるウォロフ語のテキストのコピーだった。

 

それは1994年に東京外語大学で発行したウォロフ語のテキストで、大学内で使用する非売品のテキストを一ページ、一ページコピーしてあるものだった。

 

かなりレアものだ。

 

喉から手が出るほど欲しいやつだ。

 

「お金払うから、コピーさせて。」

 

私の周りの超ニッチなセネガルフリークたちにもその需要は高く、コピーをその都度みんなに貸し出すより、欲しい人みんなで割り勘にして製本にしよう。と、そのコピーは製本になり、私の手に渡った。

 

私にとっては超貴重品。

ウォロフ語

 

それを夢中になってむさぼり読んだ。

 

しかし、途中で壁にぶち当たる。

 

このテキストには問題点があった。

 

そこに書かれているウォロフ語の実際の発音(発音記号はついている)がわからない。

 

腐っていた宝が輝きだす瞬間

テキストを眺めながら途方にくれていたその時、、

 

「あれ?」

 

何か見覚えのある文面。

 

私はすぐに、本棚に飾りっぱなしになっていたセネガルで買ったテキストを引っ張り出した。

 

なんと、

 

その日本語で書かれたテキストは、私がセネガルで購入したテキストのフランス語をそのまま日本語訳されていたものだった。

 

見比べると全てが一致。

 

衝撃すぎて、震えた。

 

揃った。

 

欲しいものが、今、目の前でぜんぶ揃った。

 

日本語の説明と、ネイティブの発音テープ。

 

この二つがあれば、ウォロフ語学習は鬼に金棒。

 

モチベーションMAXで、毎日かぶりついて勉強した。

 

移動中のウォークマンは音楽ではなくウォロフ語を聞く日々。

 

『物足りない』から始まる奇跡の出会い

同じテキストを何度も何度も繰り返し勉強していくと、最初のころのモチベーションが、徐々に低下しはじめ、もっと刺激が欲しくなるのだ。

 

時期的には2002年かな。

 

新しい教材が欲しい。

 

ダイアルアップ接続で繋いだインターネットで『wolof ウォロフ語』と検索しても、当時はまだ何も情報が出てこない。

 

テキストの著者である jean-L’eopold Diouf という名前を検索してひたすらスクロールしてみること、數十分。

 

何ページがスクロールした後に、ようやく出てきたその情報が、

 

なんと、日本のあるフランス語学校に、著者であるjean-L’eopold Dioufの名前があり、しかも彼はその学校でフランス語を教えている。

 

息が止まるほど大興奮した。

 

著者に会える!

 

大興奮冷めやらぬまな、そのフランス語学校に問い合わせた。

 

『その先生にお会いしたい。フランス語ではなくウォロフ語を学びたい。』という旨のメールを丁重に書いて送った。

 

その返信はすぐに戻ってきた。

 

ただ、残念なことに、jean-L’eopold Diouf先生は3年前に一時的に来日されたが今はフランスにお帰りになったと。

 

興奮が大きかった分、がっかりも半端なかった。

 

しばらく途方に暮れた。

 

それから、数日後、また同じフランス語学校からのメールだった。

 

その学校の担当の方が、わざわざjean-L’eopold Diouf先生に、「こんな問い合わせがあった」とお伝えしてくださったらしく、jean-L’eopold Diouf先生自ら、私とコンタクトを取りたいと申し出て来たらしいのだ。

 

そして、そこにはjean-L’eopold Diouf先生のメールアドレスが添付されていた。

 

レオ先生とのコンタクト

私は早速メールをした。

 

その著者が作ったテキストで覚えたウォロフ語で文章を作り著者宛てにメールを書いたのだ。

 

こんな感慨深いことはあるだろうか。

 

そしたら、翌日に返信が来た。

 

先生は私がウォロフ語でメールをしたことを大変びっくりされていた。そして、こう続けていた。

 

「僕のことをレオと呼んでくれ。日本人が僕のテキストでウォロフ語を学んでいることを嬉しく思う。これからはいつでも僕があなたの質問に答えるのでいつでも気軽にメールをして欲しい。」

 

その方は、セネガル人の言語学者で、フランスの大学でウォロフ語を教えている教授だった。

 

当時、私はまだ20代。

 

心が弾む夢のようなオファーだった。

 

会ったことないが、ずっと私が肌身離さず持って勉強していたテキストの著者からのオファー。

 

ラブレターの文通をするように、私たちはメル友になった。

 

メールの本文はウォロフ語。

 

レオ先生はわからない部分は英語で解説してくれた。

 

朝起きて、メールボックスを見るのが楽しみな日々。

 

送られて来たメールはすべてプリントアウトし、そのプリントを持ち出し、出先でも何度も読み返した。

 

レオ先生も私のメールを心待ちにしているのが、感じ取れた。

 

メールからチャットへ

我々は、お互いのメールを楽しんだ。

 

私のメールが遅いと「どうしたの?」と催促が来るほど。

 

メールの本文の締めに「キス」や「ハグ」など、スキンシップを表す表現も増え始めた。

 

それから、私たちはメールではなく、Hotmailのメッセンジャー(チャットのツール)を使うようになり、毎日決まった時間にチャットするようになった。

 

それからは、会話がもっとフランクになっていき、プライベートなことも話すようになっていった。

 

年齢は? 独身か? などなど。

 

もはや、レオ先生の対応は、先生という立場より男性という立場で接してきた。

 

なんと、その時点でレオ先生は60歳だった。

 

言語学者としてはおかしくない年齢なのだが、ほのかな恋心のような憧れの感情を抱いていた私は、その歳の差にショックを隠しきれなかった。

 

「歳の差は気にしない。」というレオ先生だが、私は年頃の娘。

 

会ったこともない60歳の男性が、先生という立場を超えて、徐々に男をの本能をあらわにして来ると、嬉しいどころか、気持ちが萎えるばかり。

 

ウォロフ語学習のためだからと、割り切った対応をすることもできず、、先生とのコンタクトが疎遠になっていった。

 

しかし、これまでのチャットのやりとりも全てプリントアウトしていた。

 

その内容は、テキストでは表現できないニュアンス的なことから、セネガルの文化や習慣に触れていたり、男女の駆け引きや、下ネタまで。

 

それを今度はテキストがわりにして、読み返すようになった。

 

ストーカーが新しい先生へ

レオ先生とのコンタクトが全く途絶え、また独学が再開すると、そのタイミングでmixiで日本在住のセネガル人がウォロフ語を教えます。という情報をゲットした。

 

週一回でその方の自宅へ通い、ウォロフ語を学習するようになり、それが2年くらい続いたが、先生がセネガルへ帰国されるタイミングでその学習も終わった。

 

そして、2011年の震災があった時、あるセネガル人からお見舞いの電話がかかってきた。

 

そのセネガル人とはセネガルで2004年に出会い、会ってすぐに求婚され、以降、セネガルに行くたびにしつこくしされて、いわばストーカーのような男性だった。

 

そのストーカー君が、日本の震災のニュースをテレビで見て私に電話してきたのだ。

 

彼のしつこさ、執念深さは今まで出会って来たセネガル人の中で群を抜いていた。

 

諦めない精神。

 

どんなに、私からひどい言葉を浴びようと、諦めない。

 

そこで、私はふとひらめいた。

 

その粘り強い根気は『先生』という職業に適しているのではないか?と。

 

そこで、その男性に、「私のウォロフ語の先生をやらないか。」というオファーをしてみた。

 

条件は、毎日同じ時間にスカイプに接続し、私と1時間会話する。

 

それだけ。

 

そして月に一回、私は彼に月謝を送金する。

 

彼はそのオファーに応じ、ストーカーから私のウォロフ語の先生に転向した。

 

私の予想は的中。

 

彼は、辛抱強い。

 

全く時間に遅れることなく、Skypeに現れ、私のつたないウォロフ語に飽きることなく付き合い、間違っていれば修正を入れる。

 

その根気強さは、ストーカーができるような人でないと続かない。

 

その彼が、今のウォロフ語の先生、バイサル先生だ。

 

今でも彼との会話は続いている。(かれこれ8年)

 

私のウォロフ語は流暢ではないが、文法的に正しいウォロフ語が話せる。

 

『継続は力なり』

 

これに勝るものはないだろう。

 

あの時手に入れたテキストは、もうこんなボロボロになっているが、今でもこれを使用している。

 

ウォロフ語

 

ウォロフ語を理解していなかった時の間違ったメモなども、そのまま残っているこのテキスト。

 

それを見返すたびに、成長を感じられる。

 

セネガルに友達がいる限り、これからもまだまだ私の学習はつづく。

 

 

ウォロフ語は文法を学ぶと理解が早い!

ウォロフ語の文法マニア、ファティマタがテキストを使ってウォロフ語の文法を解説します。

なんとなくは喋れるけど、もっとウォロフ語の文法や構造を知りたい方向けです。

 

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