ファティマタセネガル物語は2004年にファティマタが経験したノンフィクションストーリーです。

ファティマタセネガル物語(1)はこちらから

 

突然の引っ越し

私はいつものように、夜になると居間へ行きソファーに座ってテレビを見ていた。

ベンジーはいつもの定位置で仕事の疲れをビールで癒している。

今日はめずらしくベンジーと私だけだった。

ベンジーはたまにテンションが低い時がある。

そういう時はいつものコミカルな動きが少ない。

ベンジーがポツンとしゃべった。

 

「淋しくなるなぁ。」

 

それに対して私が「ん?」という顔をすると、ベンジーはさらに続けた。

 

「なんで君はタバスキを過ごさないで日本に帰っちゃうの?」

 

ベンジーはいきなりわけの分からない質問をしてきた。

 

「私、タバスキはセネガルで過ごすけど。」

 

そう答えるとベンジーは不思議そうな顔をして、固まった。

 

「え? セネガルの滞在を延期したの?」

 

いやいやいや、延長も何も私は泣いても笑ってもあと1ヶ月残っている。

私は最初から2ヶ月滞在の予定だし、安いチケットだから、そんな簡単には変更できない。

 

「私、2月の終わりまでいますけど。」

 

ベンジーはビックリして答えた。

 

「1月の終わりに帰ると聞かされていたよ。」

 

それには私もビックリした。

それと同時に、私はこれからもここにいてもいいのか不安になった。

そして私は尋ねた。

 

「もしかして1ヶ月分の部屋代しか払ってない?」

 

「誰から?」

 

私たちは見つめ合ったまましばらく固まった。

まさかとは思っていたが、もう一度確認した。

 

「私たちの部屋代は誰からももらってないですか?」

 

「もらってないよ。」

 

耳を疑うような返答だった。

そしてベンジーは続けた。

 

「この国はテランガの国だよ。泊まる所がなくて困っている人がいれば、喜んで部屋を貸すさ。ただ、君の滞在は1ヶ月だけと聞いていたから。」

 

私は本当のことをベンジーに打ち明けた。

 

「私は日本からゼイヌに40万セファ(約8万円)近く送金したから、そこから部屋代は支払われてると思っていたんだけど。」

 

ベンジーは深いため息をつきながら首を横に振って答えた。

 

「僕は、ゼイヌからは一銭ももらってない。」

 

頭が真っ白になった。

じゃあ、私が送ったお金は?

そしてベンジーが口を開いた。

 

「あと1ヶ月、泊まるところないんでしょ? 僕が今使っている小さい部屋なら使っていいよ。悪いが、1ヶ月だけだと思っていたから、今君たちが使ってる部屋は返してね。」

 

ベンジーに一銭も払われてないなんて知らなかった。

ベンジーは突然来た見ず知らずの外国人に無償であんなに親切にしてくれていたんだ。

しかも、また追加で1ヶ月部屋を貸してくれようとしている。

それと同時に今ここにいないゼイヌへの怒りがこみ上げた。

まずは、早急にベンジーに今使っている部屋を返さなきゃ。

私は早速、自分たちが使っていた広い部屋を明け渡し、ベンジーが使っていた小さな部屋へ荷物を運んだ。

その部屋は小さい小窓がひとつ高い位置にあったが、隣に密接して立っているビルのせいで外の景色は窓の3分の1からしか見えなかった。

 

 

MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

新しい小さい部屋でひとりポツンとゼイヌが帰って来るのを待った。

今度の部屋は鏡台もクローゼットもない。

コンクリートの壁に囲まれた四角い部屋の中にベッドがあるだけだった。

この暗い灰色の空間は、ゼイヌを待っている時間をより長く感じさせた。

横になってゼイヌが帰るのをずっと待っていたが、なかなか帰って来ない。

私は知らない間に眠ってしまっていた。

 

タバスキ前のイェレウォロフ

朝、外のスピーカーから流れるアザーンという礼拝を呼びかける音とニワトリの声で目を覚ました。

いつも横にいるはずのゼイヌの姿はなかった。

そして薄暗い部屋に小窓の隙間から射す一筋の光。

それがものすごい孤独感を感じさせた。

 

 

MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

ゼイヌは昼過ぎになっても姿を見せなかった。

ベンジーやヤマに聞いても見てないと言う。

私はタバスキのことで彼と話をしたかった。

いつの何時にここを出発するのか。

何泊するのか。

ユッスーの家族には土産は必要なのか。

車で何時間かかるのか。

タバスキは明後日に控えていた。

もし、ユッスーがいるチェスでタバスキの朝を迎えるなら明日には出発しないとまずいだろう。

 

その時、携帯にビンタからの着信があった。 

私のイェレオロフが出来たとの知らせだった。

私は胸を踊らせビンタの家の近くのテーラーまでイェレオロフを取りに行った。 

そこにはビンタも待っていた。

私にとって初めてのイェレオロフ。

ビンタは私の反応をジッと見守っていた。

私は丁寧に畳んであるイェレオロフを一つずつ広げてみた。

袖が広がったAラインのトップスに腰巻きスカート、頭に巻くターバン。

私はうれしさのあまり思わずジーパンの上からそれを着てみた。

ビンタは私の頭に可愛くターバンを巻いてくれた。

セネガル人の気分になった私は調子に乗ってその場でサバールダンスを軽く踊って見せた。

するとビンタもテーラーも笑って手拍子しながら「エイワーイ!」と合いの手を入れて盛り上げた。

私たちのその騒ぎに建物の外を歩いていた人たちも足を止めて窓から中を覗いて一緒になって手を叩き始めた。

マンガみたいな光景だが、セネガルではよくある話だ。

私が踊り終えると見物人のみんなは口ぐちに話しかけてきた。

 

「いやぁ、驚いた。」

 

「この娘は韓国人かい?それとも中国人かい?」

 

「まるでセネガル人みたいだね。」

 

「誰からダンスを習ったの?」

 

いろんな人の質問が一気に飛び交った。

セネガル人たちからしたら、アジア人がイェレオロフを着てサバールダンスを踊ることなんて珍しくて仕方ないのだろう。

ビンタは得意気になって、私のことを説明し始めた。

セネガル人は、知らない人とでもよくしゃべる。

お気に入りのイェレオロフが出来上がり、チェスでのタバスキがより一層楽しみになった。

私はビンタと別れ、足速にアパートに戻った。

 

居間を覗くとベンジーとその友人が数名が座っておしゃべりしていた。

私はみんなにゼイヌを見かけたか聞くと、みんなは口を揃えて見てないと答えた。

部屋に戻っても、自分が出る前のままの状態で、誰かが入った形跡は何もなかった。

もう日が暮れようとしているのに、ゼイヌの姿を見た人は誰もいなかった。

これではタバスキまでの予定が立てられない。

最低でも明日には出発しないといけないのに、何の準備も出来てない。

ゼイヌはケータイを持ってなかった。

とりあえず私は何の準備もできないまま、彼の帰りをひたすら待つしかなかった。

 

ファティマタセネガル物語 第16話へ

 

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