第17回 旅のノンフィクションエッセー大賞の表彰式が先日行われ、仲間たちを引き連れて、大阪読売新聞社へ行って来た。
私は今回271点の作品の中から『優秀賞』に入賞した。



大阪のヒョウ柄のおばちゃんに負けないようにと、かなりめかしこんで行ったが、全体的に地味な会場。



 

今までダンスしかしてこなかったファティマタだが、なんとすごいことに、椎名誠氏の講評には、私の表現方法を『新しい才能だ』とのコメントをいただいた。
どこかみんな突き放したような短文で構成していく表現がすばらしい。あたらしい才能の発見だ。



私のエッセーはここから読める。
エッセーを読む

私はもともと、本はあまり読まない。

エッセーや小説も皆無に近い。
そんな私がなぜ、エッセーで賞をもらえたか。
 

ぶっちゃけ、そんなに頭が良くないからなんじゃないか?と思うのだ。
椎名誠氏は「短文で構成していく表現がすばらしい。」と言って下さっているが、それはただ単純に、

私が長文が書けないだけなのだ。

分かりやすい文章を書くには、ひらがなで表現するとよい。とある本に書いてあった。

その本はコレ。
「ひらがな」で話す技術



漢字で現すより、その意味を補足するようなひらがなで表現すると、文章が柔らかくなり親しみやすくなる。
例えば、
乱読する ➡ かたっぱしから読む

確固たる結論 ➡ これだ!という答え

というように。

その点、私は『確固たる』や『乱読する』なんていう難しいボキャブラリーはもともと私の中にない。

普段から新聞も雑誌も読まない私は、常にひらがなだけで生きている。

本当に言葉が見つからない時の最終手段はジェスチャーだ。

それで、これまで生きてこれた。

私のエッセーもそう。

常に短文。

それは表現の技術云々の話ではなく、ただ単に長く文章を書くだけの適切な接続詞を知らないだけ。

国語は成績が悪かった。

エッセーのコンテストはきっと賞狙いのキメキメな文章が多いだろう。

かっこいいエッセーたちが集まる中で、ザクザクと短文でしか表現できない私の表現方法が新鮮だったのかもしれない。

私は、今回の入賞を経て感じたことがある。

自分の能力を自分で決めつけないこと。


漢字も書けない、接続詞も分からない、国語の成績も悪かった私だ。

だが、「エッセーのコンテストなんて・・・。」とひよる必要はないのだ。

世間一般の価値観なんて意味がない。

現に、プロから「新しい才能」と評価された。

これはみんなに共通することである。

自分の能力を自分で決めつけないこと。

誰でも、個性豊かな才能がある。

だから、いつでもチャレンジ精神を忘れないでいよう!




 

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