その理由は3つある。

①セネガルのダンス『サバールダンス』は誰もがサプライズを提供できるとても面白いダンスだ、ということを多くの人に知ってもらいから。

②私が日本人だから。

③私がダンサーだから。

①セネガルのダンス『サバールダンス』は誰もがサプライズを提供できるとても面白いダンスだ、ということを多くの人に知ってもらいから。

前のブログにも書いているが、サバールダンスの醍醐味はダンサーが指揮者の役割をもって、踊りながらドラムの演奏を指揮できる所にある。
 
そこが、魅力であり一番難しいところ。
 
指揮の取り方は、オーケストラの指揮者同様、リズムをよく理解してないと操れない。
 
でも、その難解なリズムを理解し、指揮ができるようになれば、私たち日本人でも、ドラマーの音を操りながら踊ることができる。そのシステムを知らない人がそのダンスを見るとたいていの人がビックリする。ダンサーの動きにピッタリ合うドラムのアクセントが入るのが、不思議でしょうがない。

踊り手はその指揮の仕方を知っているだけで、見ている人をビックリさせることが出来るのだ。

すなわち、サバールダンスのカラクリを知ればプロじゃなくても、見ている人たちをビックリさせるちょっとしたマジックショウを提供できる。

私はそれを知ってもらいたい。

②私が日本人だから。

このサバールダンスに衝撃を受けて以来、在日セネガル人のダンスクラスに通いつめた。

 

クラスはサバールドラムの音で踊ることができ、その時間はセネガルに滞在していた時の興奮を思いださせてくれ、とても刺激的で楽しかった。

しかし、私が本来とても知りたかった、『ダンサーが指揮をしながらドラムの音を操る』のその方法は何年通っても理解することが出来なかった。

それは、先生の教え方が悪いのではない。

単純に、セネガル人と日本人では育った環境や教育が違う。同じ音楽を聞いても、その音楽の捉え方や概念が全く違うということだった。

解釈が違えば当然伝わり方が違う。

その知識を教わるために必要な器が私たちに準備されてなければ理解が難しいのは当然だ。

例えて言うと、同じピーナッツバターでもセネガル人と日本人では捉え方が違う。

私たちはパンに塗る甘い物だが、セネガル人は料理に使う。

セネガルではピーナッツバターには砂糖は入ってない。

私がピーナッツバターをパンに塗って食べようとすると、「何してるのっ!!!」と止められる。

逆にブイヨンで味付けされたトマトスープの鍋に、ピーナッツバターを入れようとしているセネガル人を見たら、私たちも「何してるの!!!!」となるだろう。

それは、育って来た背景、ピーナッツバターの捉え方が違うから。

でも「私たちはこれをこのように捉えてます。」という解説があれば、やっと両者がしている行為を理解することができる。

その、両者の解釈の違いを埋める『解説』がサバールを理解する上で本当はとても必要なのだ。

『解説』なしに、セネガル人が捉えているリズムを理解しようとするのは難しい、というか不可能に近い。

その『解説』は、日本人が理解しやすいように『解読』(翻訳)する必要がある。

その作業は、まさに日本で育って、日本で教育を受けて来た日本人にしかできないと思っている。

だから、それは私がやらないといけない、と思ったのだ。

英会話を習う前に単語を勉強するのと同じ。順番を間違えると効率が悪い。

理解できないまま、3年も習い続けた私が言うのだから間違いない。

③私がダンサーだから

これをなめてはいけない。と私は思う。

アフリカンダンスはアフリカンカルチャーの一部だ。

言語やファッション、食べ物、歌、そしてダンス。

もちろんカルチャーとして誰でもたしなむことはできる。

全てがカルチャーとしてのくくりだが、歌には歌の、ダンスにはダンスの、料理には料理のプロフェッショナルがいることを忘れてはいけない。

私がアフリカンダンスに興味を持ち始めた当初、情報を集め、あらゆるアフリカンライブを見に行ったが、私が見たのは、素人の日本人が踊っているアフリカンライブパフォーマンスだった。

私はアフリカンダンスを始める前からダンサーを目指して、ダンスの基礎は積んでいたので、目だけは肥えていた。

そのダンサーはアフリカの知識はピカイチだったかもしれないが、ダンスで言ったら軸がなく、なんの魅力も感じなかった。

しかも、驚いたことにそのダンサーはダンスクラスも行っていた。

情報が少ない私からしたら、そのダンサーが踊っているダンスがまさにその国のダンスなんだ、と受け止めるのは当然だろう。

ピックアップしていた国がどんどん消去法で消えて行った。

そのダンサーは伝道師のつもりでやっていたかもしれない。

でも、そのダンスをカルチャーとだけ捉えていたことで、逆効果を生んだ。

そういう理由で、カルチャーという視点ではなく、ダンスという視点でアフリカンダンスを伝えなければいけないと思った。

それが、私がアフリカンダンスクラスをしている理由。

そして、私のダンスクラスにはこだわりがある。

自立したアクティブな人たちが集まるコミュニティであってほしい。

 
まず、そもそも、習い事ってなんだろう。
 
習っているその時間を楽しむのももちろんだが、習い事の醍醐味は、
習得したことを発表したり、それをベースに可能性を広げて行けることだと思う。
 
お料理なら誰かに作ってあげたり、英会話なら外国人のお友達とおしゃべりしてみたり。
 
どちらにしても、その習得した技術で、誰かと繋がったり、褒めてもらったり(認めてもらう)することで、達成感が得られ自信につながる。
 
その自信が人生を輝かせるのに欠かせないものだと私は思っている。
 
なので、私のダンスクラスでは3つのこだわりを常に意識している。
 
・ひとりで踊れること
・クリエイトすること
・アートであること
 
 
一つずつ説明していくとこういうこと。
 
サバールダンスの一番の魅力はソロで踊ってみないと、その面白さは享受できない。
 
だけど、たいていの日本人はソロで踊ることを非常に嫌がる。
 
それは、シャイだから?
 
ちがう。
 
たいていの人たちはソロの踊り方を教わってないから。ただそれだけである。
 
先生の合図でみんなと一緒に踊ることに慣れ親しんでしまうと、先生の合図がないと踊れなくなる。
 
みんなで踊るのは楽しいが、そのお楽しみはスタジオ内のその時間だけとなってしまう。
 
「次のお楽しみはまた来週。」という具合に。
 
それではスタジオの蛍光灯の下で先生の指示どおりに踊って楽しむアフリカンダンスに他ならない。
 
もし、ソロが踊れるようになったらどうだろう。
 
例えば、どこかのアフリカンフェスやライブ会場などに遊びに行った時、偶然にもサバールの演奏があって「みなさん踊ってください!」なんて声かけられた時、「あ、踊りたい!」と思ったら、飛び出して行って踊れるのだ。お一人でもご自由に。
 
素敵だと思わないか?
 
アフリカンダンスなんだから、血が騒いだら踊らないともったいない。
 
だから、私のクラスでは、スタジオ以外でもひとりで踊れることを意識してレッスンをしている。
 
 
 
 
そして『クリエイトすること』とは、ひとりで踊れるようになったら、どんどん今までの引き出しを活かして、さらに、そこから自由に踊れるようになるために自分らしい踊りを追求してもらう。
 
レッスン中には、シンキングタイムという時間を設けて、インプットしたものをアウトプットをする作業をしてもらう。
 
その時間を利用してステップを反復練習する人もいれば、自分の発想を付け加えてクリエイトしたりする人もいる。
 
私はひとりひとりの動きを見て、気になるところがあればアドバイスする。
 
 

 

そして、『アートであること』とは、かっこよさ、美しさを追求する上で、それが他人との競争にならないようにしている。
 
ダンスは人間の内面をそのまま反映してしまうことが多い。
 
誰よりも足を高く、誰よりも速く、と誰かと競ってしまうと、『見ているみんなを幸せにしよう』というオーラは当然感じなくなる。
 
心が踊れば自然と動きはオープンになっていくはずなのだ。だから競う必要は全くない。
 
この3つのこだわりを持つことで、生徒たちはリラックスしながら各々がチャレンジする目標を立て、それに達成した時の充実感を体験してもらってる。習い事としての本来の目的も果たしている。
 
そして嬉しいのは、この経験がダンスを通して、みんなのライフスタイルにもプラスに働いている。こうして、ダンスクラスを通して自立したアクティブな人たちが集まりやすい環境を作っている。
 
 
 
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