ファティマタセネガル物語

ファティマタセネガル物語(2)〜何度も大嫌いになった第二の故郷〜

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勢いで行ってしまったセネガルと現地で見た衝撃のダンス

1回目に訪れた時は99年の冬。

セネガルがどんな国かも分からず、ただ単純にアフリカンダンスをやってみたいという好奇心だけでセネガル現地で行われる2週間のダンスワークショップに申し込み参加した。

私はプロダンサーを目指し、ヒップホップやジャズダンスなどを勉強していた。

日本ではほとんど情報がなかったアフリカンダンス。

アフリカンダンスに興味のあった私は、本場アフリカへ行けば何かしらその技術を習得できるだろうと期待しセネガルへ出発した。

しかしその1回のセネガル渡航では、思い描いていたような技術の習得を果たすことができなかった。

そのフラストレーションから、リベンジのために翌年再び単身でセネガルへ行くことを決めた。

2回目のセネガル滞在は1ヶ月に引き延ばした。

前年度にダンスを教えてくれた先生の元を訪れ、個人的にレッスンを受けることにした。

そして、ダンスレッスンを受けるだけでなく、空いている時間はプロのダンサーたちがリハーサルしている会場などの見学を試みた。

 

そして、最初に訪れたのは現地のダンサーたちがダンスの練習しているダカールの中心から外れた小さな学校だった。

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夜になると学校の中庭がダンスの練習場になった。

そこは屋根もなく、鏡もない。

地面はコンクリートが所々はげていて決して足場のよい所ではない。

壁についている蛍光灯ひとつだけが唯一の明かりだった。

そんな所へ、次から次とダンサーやドラマーたちが集まり、練習が始まった。

 

機関銃のようにけたたましくドラムの音が鳴り始めると、それに触発され、先ほどまでおしゃべりしていた若者たちが、何かが降りて来たように次から次と本能のままに踊り出した。

その動きは同じ人間とは思えないほど激しく、バネがパーンと弾くように跳び上がり、長い手足をムチの様に操る。

もはや早すぎて見えないくらい。

黒くてバネのある身体は土着でありながらも洗練されていて、とてもスタイリッシュでかっこ良く、私は興奮のあまり心臓が高鳴った。

彼らの動きは練習とは思えないほど迫力があり、薄暗くて表情が見えない中でも全ての動きに喜怒哀楽の表現が見えた。

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それはまさにエンターテイメントそのものだった。

リハーサルとは思えない。

あまりの衝撃で鳥肌が止まらなかった。

日本でいろんなダンスを見て目は肥えていたが、ここまで惹き付けられたダンスを今まで見た事がなかった。

こんなすごいダンスが地球に存在していることを日本人は知らないなんて、もったいない。

このダンスを見たら、どんな人でもみんな度肝を抜く。

その確信と自信があった。

私はこの衝撃的なダンスを見た瞬間から、もはや他のダンスを続けることに興味がなくなっていた。

 

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セネガルのダンス『サバールダンス』を求めて

私がセネガルで見たダンスは、セネガルの伝統ダンス『サバールダンス』というものだった。

その衝撃のダンスを見た2001年から、私はサバールダンスだけを追い求めるようになっていた。

そしてまたセネガル渡航が実現できたのはその2年後だった。

その間、旅費を貯めながら、セネガルの部族語『ウォロフ語』を独学で勉強していた。

3回目となる次のセネガル渡航を最後と決め、滞在期間は2ヶ月にし、私は現地でアパートを借りた。

レッスンは、世界にサバールを伝えた第一人者、セネガルの人間国宝であるドゥドゥ・ンジャイローズの家に通い、その一族たちにダンスとドラムのレッスンをしてもらうことになった。

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レッスンが終わると、ダンサーたちが練習している学校へ見学しに行った。

練習が終わる時刻は夜。

私は滞在費を浮かせるために、移動手段は夜であろうとタクシーではなく、外国人では危ないと言われているカーラピッドというミニバスを利用していた。

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私と顔見知りになったダンサーたちは、外国人である私の家路を心配して声をかけてくれた。

 

セネガルで初めての友達

ダンサーたちの中に、私のアパートの近くに住む女性ダンサーがいた。

私は彼女と一緒に近くまで帰ることになった。

彼女の名前はビンタ。

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セネガルの女性ダンサーといえば派手で生意気なイメージがあったが、彼女は違った。

物静かで礼儀正しかった。

私が日本人だからといって過剰な興味を示すこともなく、図々しさもなかった。

私が知り合ったたいていのセネガル人は、外国人である私を金持ち扱いし、当たり前のようにタクシーに乗せてそこに便乗しようとして来たが、ビンタは違った。

彼女はいつも自分が利用しているカーラピット乗り場へ誘導してくれた。

このカーラピットは狭い空間にギチギチに人が乗り込む。

ビンタは私を外国人だからと特別扱いするわけでもなく、普段どおりだった。

私にはそれがものすごく新鮮で嬉しかった。

カーラピットだと1時間くらいかかる道のりも50セファ(10円)でどこにでも行ける。

ビンタは自分と私の分とあわせて100セファをカーラピットの集金の青年に渡した。

ビンタは口数が少なかったが、私が片言のウォロフ語で話しかけると彼女は一生懸命耳を傾けて聞いてくれた。

聞くところによると、彼女はダンスを始めたばかりでダンスを仕事にすることを目指していた。

私は国境を越えて同じように頑張っている友達が出来たことがとても嬉しかった。

 

ファティマタセネガル物語 第3話へつづく

 

 

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